石川県出身のプロ野球選手

中島塾の中島です。こんにちは。
今日はブログ記事を1つ紹介します。
横浜DeNAベイスターズからソフトバンクホークスに移籍することに決まった石川県出身のプロ野球選手、山本省吾投手のブログの2012年11月6日更新記事です。
石川県出身のプロ野球選手というと、なんといっても巨人からメジャーに行った松井選手が最初に思い浮かぶという人が大半でしょう。年配の方なら中日の小松投手、最近で言うと楽天の釜田投手でしょうか。
でも、私が石川県出身のプロ野球選手と聞いて1番最初に思い浮かべるのは山本省吾投手です。理由は、私が少年野球をしていたときに対戦したことがあるからです。私が小学6年生のときに山本投手は小学5年生でした。山本投手は、強豪大徳クラブにおいて5年生ながら背番号1を背負う技巧派の投手でした。
***引用開始***
報道等でご存知かと思われますが、この度ソフトバンクホークスに移籍することになりました。自分の言葉で皆様に感謝を届けたくて、久しぶりに書くことにしました。
ちょうど2年前の今頃、3年連続90敗という大変な状況にあったベイスターズから声をかけていただきました。
あれから2年の月日が過ぎ、、、突きつけられた現実は5年連続最下位。
チーム再建の力になれず残念な気持ちと、ベイスターズファンの皆様と、呼んでいただいた球団関係者の皆様には申し訳ない気持ちでいっぱいです。
勝てないチーム、勝てない自分。かつて経験したことのない状況の中で、苦しみ、時に厳しい声も耳に届き、心で泣いたことも数多くありました。
志半ばでチームを離れることは無念でもあります。学生時代を過ごした横浜。ちょうど日本一の熱狂の中にいたあの時代を、僕ももう一度味わいたかった。
これからは親会社であるDeNAが、厳しい目と新しい発想、手法で、ベイスターズをドラスティックに改革していくでしょう。そして必ず強くなると確信しています。
ファンの皆さん、2年間ありがとうございました。2011年開幕戦、柔らかい春の陽光に包まれた鮮やかなブルーに染まったハマスタのライトスタンド、そこから頂いた拍手と歓声。きっと忘れることはありません。力になれず申し訳ありませんでした。
シーズン終了後、いくつかの選択肢の中からDeNAと話し合いをもってきました。その中の1つにホークスとのトレードの打診がありました。
常勝チームのユニホームを纏うことになり、身の引き締まる思いでいっぱいです。
パリーグで過去10年ホークスと対戦してきたものとして、あの熱狂的な応援と強力打線は本当に脅威でした。チームとファンの皆様に認められる日が1日でも早く訪れるように、全てをホークスに捧げる気持ちでプレーしていきます。よろしくお願いいたします。
最後に。
僕は、ドラフトで入団した球団はもうありません。それは悲しいことであり、寂しいことです。でも帰る家を亡くしたあの日から、この世界を左腕一本で生き抜いていくんだというプロ意識は年々強くなっている気がします。
逆指名、球団合併、トレード、身売り、トレード。そして数えきれないくらいの監督交代。それはきっと僕に、このプロ野球という厳しい世界で、きっと安心、安住するなというサインなのでしょう。
13年目のシーズン。
常勝軍団のユニホーム。
福岡で男になってきます(えじり氏名言)
山本省吾
***引用ここまで***
【元記事リンク】http://blog.shogo-yamamoto.com/?eid=73
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私も・・・・・・・・・
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