将棋と中島少年

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『前田耕陽・海原ともこ夫妻に第1子歌星(かせい)ちゃん誕生!』
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「weblog」という、時代の最先端ツールを自由自在に操り、1週間も前の話題(しかも芸能)から始まる今日の中島塾塾長室です、どうも。
今日は、私の少年時代の思い出の中から、将棋に関する話を1本アップします。昔、別のブログで書いた記事の焼き直しですが、気にせずに読めばいいさ・・・って細木数子が言っていましたか。言ってません。ではどうぞ。
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[中島少年と将棋]
私が将棋を覚えたのは、小学校1年生のときでした。
父『ユウイチ(私の名前です)、将棋セット買いに行こう。』
私『???』
父『将棋セット買って、家で将棋しようぜ。』
私『…う、うん。』
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中島家の将棋ブームは、私が小学校1年生のある日、突然やってきました。父はこの日なぜ将棋をしようと思ったのか、私には今でも分かりません。もし、父が将棋大好き人間であれば、我が子に将棋を教えたいという気持ちになるのも分かります。しかし、この提案をしたとき、父は将棋のルールなど全く知らなかったのです。
父と私は近所のおもちゃ屋に行き、並んでいる中から1番安い将棋セットを購入しました。今でもハッキリ覚えているのですが、板は厚さが数ミリしかなく今にも割れてしまいそうな代物で、2つ折りになっているその裏はガムテープで留められていました。
ガチでガムテープですよ。
一応ことわっておきますが、買ってきた将棋盤の留め具が壊れたため家で補修したのではありません。おもちゃ屋で売っている段階でガムテープなのです。メールアドレス風に表すと「ガムテープ@標準装備.jp」なのです。そして、駒も大きさや形がマチマチの不細工なものでした。駒入れ(メールアドレス風に表すと「薄手のボール紙@標準装備.net」)はその日のうちに壊れ、その後は「家にあった@小物入れ.com」を使用しました。
-もうメールアドレス風に表すのはやめます。-
さあ、このように粗末な将棋セットを購入した中島親子。家に帰って箱を開け、将棋盤に駒を並べます。
・・・いや、並べません。並べられません。当たり前です。2人とも将棋についての知識が0なのですから。
すると、父はおもむろに電話機を手に取り、父の友人に電話をかけました。そして、駒の並べ方、動かし方、その他ルールを教えてもらっていました。電話をかけては切り切ってはまたかけるという、電話相手には非常に迷惑であろう方法で、父は徐々に将棋をマスターしていきました。と同時に私に将棋を教えていきました。
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父『「銀」は横と真後ろに行けんぞ。』
私『うん。』
父『「飛車」は左右ならどこまででも行けるぞ。』
私『わかった。』
父『裏返しになったら動き方変わるぞ。』
私『駒の裏、赤いね。』
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父との将棋はこのような感じで始まりました。将棋のルールは複雑ですが、父は自分でも根気強く勉強し、私にもさらに根気強く教えてくれました。
繰り返しになりますが、このとき父が何を思っていたのかは今だに分かりません。
父の教え方が上手だったのか、私の知的好奇心が急に騒ぎ出したのか、はたまた神様のいたずらなのか、私はすっかり将棋のトリコになりました。毎日毎日、何局も将棋を指しました。
当然、相手は父です。
コテンパンにやられました。
一緒に覚えたのに。
ただの1度も勝てませんでした。
これは屈辱でした。
私はムカつきました。
イライラ、プンプンしました。
でも(将棋をしたくない!)とは思いませんでした。
どうすれば勝てるのか。
どうすれば負けないのか。
そればかり考えていました。
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将棋は恐ろしいゲームです。
勝者は思い切り気持ち良く勝ち、敗者は地獄の苦しみを味わいながら負けていくゲームなのです。
それなのに。
幾度となく地獄の苦しみを味わい、辛酸をなめさせられているのに。
私はくる日もくる日も将棋を指し続けました。
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これが将棋でなく、じゃんけんなら勝負は一瞬です。
じゃーんけーんポイッ、で決まります。
しかし将棋は違います。
ジワジワと相手の駒が攻めてきます。
こちら陣営の弱いところをチクチク突いてきます。
こちらも攻撃しますが、相手陣営はなかなか崩れません。
そうこうしているうちに、こちらの大切な駒が奪われてしまいます。
大切な駒が取られただけでも痛いのに。
取られた駒は、次の瞬間には敵となって自陣に牙をむきます。
『えー!お前さっきまで味方やったやーん!』
て、なります。
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優勢になった側は、次々と良い手が思いつきます。
劣勢になった側は、段々何もできなくなります。
真綿で首を絞められるように。
ゆっくりと、そして確実に「負け」が近づいてきます。
これが地獄の苦しみです。
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このときに、投げやりになってはいけません。
やられても、取られても、逃げられても。
グッと下腹に力を入れて耐えます。
時には大事な駒を犠牲にし。
時には一目散に逃げ出します。
そうしながら、反撃の機会を待ちます。
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父に負け、教わり、自分で考えながら、私は力をつけていきました。
小学3年生くらいの頃には、父と互角に戦えるようになりました。
その後、私が常に勝つようになり、中島家の将棋ブームは終わりました。私は中島家の外に戦いの場を求めていきました。
そして、そこでもたくさんの素晴らしい出会いがあり、新しい気づきがありました。
あの日父に教えてもらった将棋が、その後も私に数々のことを教えてくれました。
お父さん、将棋を教えてくれてありがとう。
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先日、20年以上ぶりに父と将棋を指しました。楽しかったです。
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将棋と中島少年 への4件のコメント

  1. http://presidentmap.cocolog-nifty.com/blog/

    はじめまして。私の仲良しの金港堂さんのコメントからやってきました。私は、将棋をさすのはへたですが、将棋を見るのが大好きです。きっかけは、羽生さんが<形>でさしているとのことからでした。それ以来、<形勢>を見て優劣を判断する勘を養うために将棋を見ています。これからも将棋の記事を楽しみにしています。

  2. ケコ

    今年度、今日が初将棋。黒星でした。以前習った「みの囲い」も、かっこってるうちに、相手に攻められるというワンサイドゲーム。昨年度は、200戦は、やったのに、どんどん弱くなる。やはり50代で将棋に目覚めたのは、遅すぎたか!

  3. 中島先生

    [北村様]
    コメントありがとうございます。私も今は「見る」ばかりです。日曜10時30分からNHK教育で放送される「NHK杯将棋トーナメント」は必ず録画して何回も見ています。
    ご覧の通りこのブログは塾のことばかり書いてあるブログではありません。また将棋のことも書きますので、ぜひご覧ください。

  4. 中島先生

    [ケコさん]
    コメントありがとうございます。
    将棋盤全体を見渡して、『自玉を安全に囲う』と『敵陣の弱い部分を攻める』のバランスを取るといいですよ(あれ?中島先生ってばエラそう?)
    とにかく、50代だろうが80代だろうが遅すぎることなんかありません。一緒に頑張りましょうよ。

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