おはようございます。
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さて、中島塾のブログ記事は今日が2つ目。このブログは生まれたての赤ちゃんブログです。しかし、実は私は3年以上前からネットでモノを書いていました。そうです、3歳児だったのです。
そこで今日は、過去の記事を焼き直してご紹介したいと思います。
…。
……。
………。
『焼き直しですプー。』
新しい記事じゃなくてすみません。過去記事の焼き直し、これからもたまに使います。
ではどうぞ。
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[ボンタンの思い出]
私が高校1年生の頃の話です。
義務教育が終わり、いくばくかの自由が与えられたばかりの高校1年生。金沢市内を縦横無尽に飛び回り、学校帰りにゲームセンターで遊んでも許される高校1年生。2限と3限の間に購買部でパンを買って食べて、口の端から焼きそばがはみ出していてもギリギリ許される高校1年生。そんな、尾崎豊的『自由』を手に入れたつもりの私たち高校1年生が最初に考えたのは・・・
ボンタン、はきたい。
ということでした。ボンタンというのは制服ズボンの変形で、ウエストから膝にかけてのラインが通常のズボンよりゆったりしている、校則違反のズボンです。大工さんや道路工事の人がはいているズボンのイメージに近いかもしれません。
■ボンタン、はきたい。
■ボンタン、かっこいい。
■ボンタン、中3のときはダメやったけど今ならはける。
■はけるはず。
■空も飛べるはず。
■むしろスピッツよりも空を飛べるはず。
という、ごく自然な流れで、私たちはボンタンをはくようになりました。
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しばらくすると、校内をウロウロする大工さんおよび道路工事さんの量が徐々に増えてきました。そして、事態を重く見た先生サイドは、突如として取り締まりに踏み切ったのです。ボンタン狩りです。
農民から次々と刀を取り上げる豊臣秀吉のように、先生方は容赦なくボンタンを狩っていきました。おそらく当時の職員室には、東京ドーム0.0000006個分程度のボンタンが収められていたはずです。そのくらい徹底的に狩られていきました。
日が経つにつれ、先生方の勢いは衰えるどころか更にその勢いを増していきました。そしてある日、ついに私のボンタン友達まで狩りの犠牲になってしまったのです。
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担任の先生「コラッ!お前らはっ!こんな変なズボンはいとったらだめやがいやっ!」
ボン友A「俺らだけじゃねーよ。中島もはいとったよ。」
ボン友B「そうやそうや、中島も捕まえてやー。」
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現在の私から言わせてもらうと、彼らを縄でグルグル巻きにして正座をさせ、『友情とは何か』というタイトルで小1時間説教をしたくなるような場面ですが、とにかくそういうやり取りがあったそうです。(ちなみにそのとき、騒ぎに素早く反応した私は、こっそりボンタンから普通のズボンにはきかえている最中でした。)
そこで、私の担任の先生が放った一言・・・。
担任の先生「バカッ!中島がそんなくだらんモンはくわけないやろっ!」
ズキッ。
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[ボンタンの思い出2](翌日の記事)
昨日のブログは、
担任の先生「バカッ!中島がそんなくだらんモンはくわけないやろっ!」
ズキッ。
で幕を閉じたわけですが、皆様どういうふうに感じられましたか。
■「面白い話やなー」と思われましたか
■「中島先生うまく逃げたなー」と思われましたか。
■「担任の先生お人よしやなー」と思われましたか。
確かに最初、私はこの話を
■笑い話
■うまく逃げ切った自慢話
■担任の先生に信頼されていたことを証明する話
として扱っていました。
しかし月日は流れて、私は今、生徒から先生の立場になりました。そして昨日、ブログを書きながら当時の先生のことを1つ1つ思い返しました。
私は
なんと
担任の先生に
愛されていたのだろう
私は
なんと
担任の先生に
信じてもらっていたのだろう
ひるがえって
今の私は
こんなに大きな愛で
塾生を
包んであげられるのだろうか
何か事件が起こったときに
○○はそんなことしない!
と言い切れるのだろうか
私は昨日、1つの笑い話を失いましたが、それ以上の大切な大切な教えをいただきました。あの頃すでにおじいちゃん先生だったので、もう退職されていると思いますが、もしどこかでお会いできたらお礼を言いたいです。
先生、ありがとうございます。先生の『心』、今ようやく学ぶことができました。