中島塾が中島塾になった理由(わけ)2

昨日の「5教科一貫教育塾」は私の造語で、5教科をそれぞれ関連づけて指導する塾を意味します。
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私にとって、色々な教科を担当することは、全く負担ではなかった。
教科ごとに塾生の表情が違っていて面白かった。
■へー。数学のときはあんなにイキイキしてたAくんが、社会の時間はぐったりしてるなあ。
■おー。Bさんて英語は苦手だけど、国語は得意なんだなあ。
■うーん。Cくんはどの教科の授業もボーッと聞いているなあ。
新しい教科を担当する度に発見があった。
■(英語の授業をしながら)ああ、これって国語でも使える。
■(社会の授業をしながら)あ。これと似た漢字が理科で出てたぞ。
■(数学の授業をしながら)この計算ができないんじゃあ、理科のあれも計算できないかな。
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ちなみに、この頃私は独立して塾をひらく気など1mmもなかった。しかし今では、会社塾時代にこういうことを経験できてとてもよかったと思っている。この経験が今の中島塾の礎(いしずえ)になったとさえ思っている。
本当に何が幸いするか分からない。会社塾時代にもがき苦しんだこと、塾生の成績を上げるために工夫したこと、保護者様の期待に応えたい一心でやったことが今の中島塾を支えている。
今の中島塾は、私の会社塾時代の経験(財産)によって、フラフラとではあるが何とか立っている。
来年の中島塾がしっかりと立っていられるように、再来年の中島塾がさらに輝けるように、私は今日の中島塾を真剣に見つめ、塾生の学力向上のために知恵をしぼりたい。
-いったん終わり-
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[問題]
そう言えば、中島先生は塾以外のことでも
(あのときちゃんとやっといたから、今その恩恵を受けているんだな。)
と思っていることがあります。それは何でしょうか。
[ヒント]
スポーツ関連。
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