中島少年のお父さん

私は小学3年生の秋から卒業まで、少年野球のチームに所属していました。
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1つ上の学年の人数が少なかったこともあり、5年生の頃からボチボチ試合に出られるようになった私。それを誰よりも楽しみにしてくれたのが父でした。
父はビデオカメラを携えて、毎試合観戦に来てくれました。
今でこそ「ビデオカメラは一家に一台」みたいな風潮になっています。運動会などの行事では、カメラの場所とり合戦が激しいという話も聞きます。
しかし、これは今から20年近くも昔の話ですよ。
今から20年近くも昔。父は、テレビ局のカメラマンが持っているような、小さい子が見たら泣き出すんじゃないかっていうくらい威圧的なVHSのビデオカメラを担いで、毎週日曜日応援に来てくれたのです。
嬉しかったなあ。
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しばらくすると「セミプロカメラマン中島父」は、チームの注目の的になりました。いや、正確に言うと、「中島父が撮影した試合のビデオテープ」が脚光を浴びることになったのです。
『中島さんの撮ったビデオが見たい。』
そうおっしゃる保護者の方が増えてきました。父は最初困ったそうです。
父(やばい。自分の息子ばっかり映しとった。)
父(他の人にも見せられるように、試合全体を映さんなん。)
そういう経緯があって、父は次第に試合全体を映すようになり、ビデオテープは保護者の間を行き来するようになりました。
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そして私が6年生の秋、最後の大会が終わりました。私の少年野球も終わりです。最後の大会が終わると、6年生を送る会をするのがチームの慣わしになっています。その6年生を送る会を前に、父はこんなことを思いつきました。
父(今まで撮った試合のテープを編集して、6年生1人1人のオリジナルテープを作り、みんなにプレゼントしよう。)
もう1度書きますが、これは20年近く昔の話です。そして当時6年生は12~3人いたと思います。
今ならDVDをうまく操ってチョイチョイと編集をすることが可能なのかもしれません。しかし20年近く昔、父はVHSのデッキを2台並べてつなぎ、数十本もある試合のテープを何度も何度も繰り返して見ながら編集をしました。A君ばかりが映っているテープ・B君ばかりが映っているテープ・C君ばかりが映っているテープ・・・というふうに、6年生全員分のオリジナルテープを作ったのです。仕事も毎日遅くまでやり、家に帰ってくるとすぐにテープの編集。きっと自分の時間などなかったと思います。
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そしてついに最後の1本を編集し終えた父。父は私を呼んでこう言いました。
『やっと編集終わったわ。ところでこのオリジナルテープやけど、お前の分はない。お前はウチに全試合分のテープあるんやし、いらんやろう。ただ、6年生を送る会のときにお前の手元だけテープなかったらおかしいから、お前には空のテープを渡すから。』
実は私、昔のことは結構覚えているほうなのですが、このとき父の言葉を聞いてどう思ったのか覚えてないんですよね。イラッときたのか、悲しかったのか、はたまた何とも思わなかったのか・・・。どうだったかなあ。
昔の感情は思い出せません。ただ、あれから20年近く経ち自分自身も1児の父になった今、声を大にして言いたいことがあります。
お父さん、あのときはありがとう。あのときの空テープはもうどっか行ってしまったけど、俺の心の中に宝物としていつも飾ってあります。
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[一言]
やっぱり・・・・・・・・・
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中島少年のお父さん への2件のコメント

  1. MiB Minamiです

    いい話ですね。
    私も父になり、最近わかります。
    感情は忘れても、感動は残るんだよね。

  2. 中島先生

    コメントありがとうございます。
    こんだけ長々と記事を書いといて「実は父の日は来週だった」という驚愕のオチはついちゃいましたが、父への感謝は常に忘れずにいたいと思っています。
    Minamiさんの子育ての記事、興味深く拝見しております。勉強になります。

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